■コラム Si-Folk物語■ by吉田文夫
@関西初のアイリッシュ・バンドは?

1970年代の初め頃、英国圏のフォーク・リバイバル・ブームが日本にも伝わってきて、少数ながら日本の若者も、 トラッドと呼ばれる伝承音楽に感心を持つようになり、70年代も後半になると、更にごく少数ながら、 伝承音楽の演奏にトライする者も存在するようになった。つぶさに調べたわけではなく、 手元にある資料や自分の記憶の範囲での話になるが、関西でアイリッシュの演奏を人前で披露した人物というと、 現在もご活躍の赤澤淳さんの名前がまず挙げられる。学生時代を東京で過ごした彼は、ライターの故松平維秋氏 がD.Jを務めていた渋谷の喫茶店「ブラックホーク」にもよく顔を出し、同店に集まっていた愛好者達が中心になって、 1977年に結成された「トラッド愛好会」の定例会などでも時々演奏をしていた。当時の赤澤さんはギター、マンドリンがメイン。 いち早くトラッドのスタイルをマスターしたそのプレイは、愛好会の仲間達からも大いに注目された。

その後彼が関西に移り、京都などで知り合った欧米人演奏家達と結成したのが「Banish Misfortune」という名前のユニット。 メンバーは、現在でも関西ではおなじみの、ジェイさん(米国出身)、レズリーさん(スコットランド)、 ジョン・マシューズさん(ウェールズ)の面々。もう30年近くも前の話で、彼らにしても「ビギナーの時代」 だったのかもしれないが、その当時に、ウッド・フルート、フィドル、バウロン等伝統楽器、それに本格的な歌い手も 揃ったバンドというのは、驚異的とも言える存在だったようだ。その中に一人、日本代表として太刀打ちしていた赤澤さんは、 その頃から次第にフィドルをメインにするようになり、その卓越した演奏で再び周囲を驚かせる事になる。

また関西では丁度同じ時期に、純日本人メンバーによるバンドも誕生していた。現在はサイナック・ケイリーバンドを主宰して、 日本でアイリッシュ・ダンスを広める活動に尽力されている久保和さんと、こちらも、日本でのハンマー・ダルシマー演奏の 先駆者と言える吉田顕子さん、このお二人が主体で、時々赤澤さん等が加わった「R.J.トラディション」は、アイルランド音楽を メインにしたという点に限れば、関西初の国産アイリッシュ・バンドだったのかも知れない。彼らや吉田さんのご主人等が中心になり、 全国からオールドタイム、ブルーグラス系の演奏者、それに少数派のトラッド系の演奏者も加えて、大阪のとある銭湯を借り切って 開いたフェスは語り草になっている。1981年の事。

尚、身近な処からの話ばかりで進めて、忘れてしまってはいけないのだが、フォーク歌手、それにマラソン・ランナーとしても有名な、 高石ともやさんが率いた「ナターシャセブン」は、ブルーグラス等アメリカの伝承音楽の影響が強いグループだったが、 そのまたルーツの音楽とも言えるアイリッシュも、レパートリーに取入れていた。私は確か70年代後半頃(定かでない)に、 彼らが「Silver Spear / Humours of Tulla」のリール・メドレーを演奏しているのをラジオで聴いた記憶がある。 メンバーの城田じゅんじさんが後にアメリカに渡り、西海岸を代表するアイリッシュ・ギター奏者となった事は有名。